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2005年04月26日
「メディア接触」調査結果
株式会社インフォプラント/C-NEWS が2005年4月25日に発表した「メディア」に関する調査結果(15歳以上の男性750名、女性750名の計1,600名を対象)によれば、
情報が早いと思うメディアは、「インターネットサイト」がトップで77.6%、「テレビ」は53.5%で2位。
身近に感じるメディアは、「テレビ」がトップで79.2%、「インターネットサイト」は74.2%で2位。
今後、接触時間をもっとも増やしたいと思うメディアは、「インターネットサイト」がトップで43.5%。2位は、16.7%で「新聞」。その接触時間を増やすために減らしても良いと思う時間は、「何もしない時間」の36.6%と、「テレビを見る時間」の33.0%が上位に並んだ。
例えばApple社のMac miniをテレビ台に格納し、ブロードバンド及び液晶テレビと接続すれば、インテリアとしても十分質の高いテレビ&インターネットモニター環境が実現する。
一番のネックはキーボードだ。ワイヤレス環境は整備されているものの、その大きさと質感がどうにもリビングにはふさわしくない。かつてのそろばんのように、スケボーとして活用できたり、孫の手として肩凝りをほぐせるようになって、キーボードがお茶の間に違和感なく溶け込むようになった時、民生レベルでのIT革命は最終段階を迎えるだろう。
2005年04月25日
恋愛と権力の親密な関係
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、と宣った先人がいたが、
その是非はともかく、思春期の少年・少女にとって、バックボーンの果たす役割は極めて大きい。
カッコいい車に乗っていたり、ブランドの服を着ていたり、携帯電話を持っていたり、ヨード卵光を食べていたり、国民年金を1年分一括で払っていたり、
恋愛におけるスタート地点の差はその後のレース展開に大きく影響を及ぼすのだ。
お察しの通り、そうした考え方の約90%が貧乏人のひがみである点をあえて棚上げして言わせてもらえば、
「権力」の要は、とにもかくにも「インフラ」である。
弱小代理店の営業マンがどれだけ優秀であろうとも、デンツノイドの持つインフラに勝つためには相当のエネルギーを要する。
「インフラ」を制する者が「権力」を制するのだ。
権力を行使すること自体は、決して悪いことではない。
問題はその集中にある。
かつてのスターリンやヒトラーを持ち出すまでもなく、権力はバランスよく分散されることが大切なのだ。
マスコミは権力である。
報道は慢性的に捏造され続けている。
ライブドアの買収騒動に言及するつもりはないが、
個人的にCXは好きになれないので、ライブドアを応援させていただいていたし、
それより何よりテレビ・ラジオという半世紀あまり集中し続けてきた権力に火の粉をふりかけた点は賞賛に値すると思う。
「マスコミ」の主役は言うまでもなく「大衆」である。
「大衆」のコミュニケーションインフラとしては、この21世紀、テレビやラジオはその貧弱さを問われざるをえない。
当たり前ではあるがインターネットは本当の意味でのマス=コミュニケーションを実現する。
誰もが安価に(あるいはタダで)マスメディアを獲得できるのだ。
おそらくCXをはじめとするテレビ局各社はここ数年のうちに、現状の権力を維持できなくなるだろうし、
だからといってライブドアやソフトバンクがその権力をひとりじめするわけでもないだろう。
ごく僅かずつだが、「権力」は大衆のもとへ移行しつつある。
だから一連のNHKの不祥事に対し、我々は受信料不払いなどというケチくさいことをせず、
「受信しない」と胸を張って言うべきなのだ。
買収でむしろ恐ろしく思ったのは先日発表されたAdobe社によるmacromediaの買収だ。
我々が目にする世のクリエイティブは、おおよそこの2社いずれかのソフトウェアを使って創造されている。
それが今後Adobe1社の独占状態になるのだ。
繰り返すが「インフラ」を制する者が「権力」を制する。
間借りなりにもクリエイティブに関わる者は、この買収に対し、心して向かい合わなければならない。
投稿者 ADRED : 19:27 | コメント (26) | トラックバック
2005年04月05日
アクセシビリビリティ
3月のまる1ヶ月を費やしたリガフィーユゥのホームページがようやく完成した。
今回のテーマは「まるごとCSS」だったのだが、テーブルレイアウトに比べると、とにかく手間がかかる。
まあSEOはわかるとしても、昨今やたら耳にする「アクセシビリティ」って果たしてどれくらいの割合でニーズがあるんだろうか。少なくとも自分の周りで音声読み上げ機能を駆使している人は今だかつて見たことがない。
JIS規格だかなんだか知らないけど、つまんない横文字を氾濫させるのは、送り手の労力と受け手の利便性のバランスがとれるようになってからにしてほしいものだ。